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レポート : 曽宮 岳大
取材協力 : ベントレー・モータース・
ジャパン
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ベントレーの創始者、W.O.ベントレー
戦後誕生したBentley Mk-VI
1937 Embricos Bentley
1956 Bentley S1 Continental
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創生期のベントレー
今回スポットライトを当てるのは、誰もがその名前を知っていながら、クルマについてあまり詳しいことは知られていない、珠玉の名車“ベントレー”だ。もっとも、安くても2,000万円、車種によっては4,000万円を超える超高額車ゆえに、多くの人にとってはクルマの内容を普通に紹介してもあまり面白くはないはず。そこで、ベントレーはどのように世界中で一目置かれる存在になっていったのか、他の高級車とはどんなところが違うのか、といったあたりを中心に調べてみたのでご報告しよう。
ベントレーは、歴史ある他の多くの自動車メーカーと同じように、自動車の草創期に自動車以外のビジネスから参入してきた意欲的なエンジニアによって興された会社である。ジャガーはもともとサイドカー・メーカーであったし、ランボルギーニはトラクターを作っていたと伝えられているが、W.O.のイニシャルで知られるベントレー創始者のウォルター・オーウェン・ベントレーは、イングランド北部の街ドンカスターで汽車を作る会社に見習いとして勤めていた。1905年のことである。
1888年に9人兄弟の末っ子としてロンドンで生まれたW.O.ベントレーは、鉄道会社で働きつつ、兄と一緒にオートバイに夢中になりレースにも参加。そこで知った内燃機関(エンジン)の発する音に魅力を感じ、興味の対象が鉄道からモーターレース、さらには自動車へと移っていったと伝えられている。そして1912年にフランスのDFP自動車を輸入する小さな会社を買収、W.O.ベントレーはその工場を訪れた時、ピストンに、それまでの鋳鉄ではなく軽量なアルミニウムを使うことを思いついたという。
そこからひとつの伝説が生まれようとしていた。W.O.ベントレーはDFPを買収したその年にブルックランズで行われた2リッターカーレースで時速107kmを記録しているが、1年後に、アルミに銅を混ぜ合わせたピストンを組み込んだW.O.ベントレー設計によるDFPは、時速131kmという新記録を樹立。時あたかも第一次世界大戦が始まろうとしていた当時、W.O.ベントレーが考え出したそのアイデアはあまりにも画期的だった。
大戦中に英国海軍航空隊に所属したW.O.ベントレーは、そのアルミ製ピストンを航空機エンジンに適用し、そのベントレー作のエンジンは世界大戦中に使用された航空機に幅広く使われたという。数年間、航空機エンジンにエンジニアとしての情熱を傾けたW.O.ベントレーは、やがて戦争が終わると、再び自動車作りに注力。その頃から“速い車”“クラス最高の車”を追い求めるベントレーの冒険は本格的に始まっていた。
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