
田中 もっというと道の在り方というのは“どういう社会にするか”が前提でしょう。川はダムの上流の人だけのものではないし、下流の人だけのものでもない。あるいは市民運動家のものでも、建設業者のものでもない。国民の共有財産ですよ。ところが日本は、
「公」という字を「公共事業」で使ってしまったから、道路作りやダム作り=公の事業=官の仕事と勘違いしてしまった。道やダムは官が考え、作るものと思い違いをしちゃったわけですよ。
小沢 みんなのものなのに…
田中 本来、「公」の対語は「私」なわけです。そう言う意味では、日本は明治維新以来、重大な間違いをし続けているのかもしれないよね。
小沢 う〜む、康夫節が炸裂ですね。康夫センセイは視点が違いますねぇ。だけど、そういう大きな話もいいですけど、僕らに関してはマジな話、職業の危機なんですよ。クルマが売れない、特に趣味的なクルマが売れなくて、それ以上にクルマ雑誌が売れないんです。なぜかというと“道具”としてのクルマ以上に“喜び”としてのクルマを否定してるんですよね。今の世の中って。
僕らの世界って、クルマが売れるってこと以上に“クルマが好き”という気持ちが大切なんですよ。だってポルシェが好きな人は、クルマなんか買わなくってもポルシェの記事は買うわけですから。
田中 うんうん、分かる分かる。そうだろうね。
■この国には“形”という発想しかない
小沢 だから今のエコブームと安全概念と経済危機は凄い。クルマへの興味を根本からそぎ落とさんばかりの勢いで、マトモに残るのは軽自動車ぐらいじゃないですか。それが時代の流れと言われればそれまでですけど、本来はクルマって道具なだけでなく、個人の自由を尊重し、開放するものであって、なくなってはいけないものだと思うんですよ。服が身を守るだけでなく、自己を象徴するように、クルマを楽しみ、所有する心もなくなるべきではないと僕は思う。
田中 その通り。信州の知事に就任した2000年以降は、イタリアやフランスに出掛けた時に、ミラノやパリの空港でレンタカーをピックして運転するだけになっちゃったけど、大学卒業後にアウディ80から始めて、100、200クアトロ、ルノーのアルピーヌ、ランチアのテーマ8.32、BMWのZ3と車遍歴を僕も重ねてきたからね。幕張の前の晴海でモーターショーをやってた時分から今はなき月刊誌「NAVI」で、この娘は声がでかそう、この娘は複数の♂と平行恋愛してそう、なあんてコンパニオン、ナレーターの評論(爆笑)もコージを助手に起用して、写真入りで担当していたからなぁ。
小沢 いやぁ、懐かしいですね。だけど、康夫センセイ、“日本にビジョンがない”って、その通りだと思うんですよね。「クルマは楽しいもの」なんて概念なんてサラサラな
いですよ。特に国や行政側に。ドイツにはありますが。この国には“形”という発想しかない。